大東流女性初の武道道場 MIWAKO道場が誕生!

MIWAKO道場

生れは会津、育ちは北海道、大東流では女性第1号の道場が誕生しました。

大東流無傳塾の合氣はやわらかさが強味で力を出さないから誰れでも出来る武術であるので女性には最適なのであります。
もともと殿中での護身術で重臣たちの奥方やお姫様が身嗜みのひとつとして習っていた武術であります。
いきよい気品、品性、品格を兼ね備えたものであった訳です。


片野美和子大東流無傳塾の流儀は「姿勢と呼吸」を最も大事にしているので今風に言えば「健康と美容」にとても良いものであります。

力を出さないで呼吸力(合氣)を使うので稽古の後はとても心が和み凄く爽快感を満喫させてくれます。
ですからストレスが解消される訳であります。

和顔に勝る技はなし!さああなたもやってみませんか。

詳しくは道場案内をご覧下さい。→ 道場案内


2015年9月4日
合氣護身術大東流無傳塾
MIWAKO道場
道場長 片野美和子

大東流女性の道場第2号「札幌こまち道場」が誕生!

布施陽菜大東流は力を使わず呼吸と姿勢を大事にしているのでとても女性に向いている武術です。
反射神経でもないので運動が苦手な方も大丈夫!
こまち道場では永世名人位堀川幸道先生から飯田先生が受け継いだ技を型稽古で修練すると共に
殿中の護身術としてお姫様の嗜みのひとつとされたこの流儀を手掛かりに
現代に生きる私たちの、力ではない女性としての強さとは何か、
心と身体のしなやかさを笑顔で楽しく♪探究・体感していきます。

「和顔に勝る技はなし」どんな逆境や苦難もチャンスと感謝だったと笑顔で捉えられるしなやかさを、支えてくれる仲間を一緒につくってみませんか。

詳しくは道場案内をご覧下さい。→ 道場案内

合氣護身術大東流無傳塾
札幌こまち道場
道場長 布施陽菜

ニュージャージー支部の誕生

アメリカ合衆国の国旗

大東流無傳塾の松ぼっくりに火が付いて、アメリカはニュージャージー州に飛び火した。
Reinaldo Cacitaが根付かせてくれることになりました。
アメリカに二つ目の支部が誕生しました。

ニュージャージー支部認定証ニュージャージーReinaldo Cacita

2016.1.1
合氣護身術大東流無傳塾
アメリカ合衆国ニュージャージー支部
Reinaldo Cacita
E-mail:daitoryumudenjuku_nj_usa@yahoo.com

大東流無傳塾アイルランド支部で審査会が行われました。

大東流無傳塾アイルランド支部(支部長 オシン・バーク)において
2015年12月13日、審査会が行われました。

アイルランドに無傳塾の小さな花が咲きました。
これからも長く長く咲き続けてください。
Congratulations!

    2016年1月13日
無傳塾塾長 飯田宏雄

ジョセフ・ケネディの初審査後のエッセイ(2016年1月)

アイルランド(ティム、ジョセフ)

ティム・ペンフェアとジョセフ・ケネディ(右)

私は、約1年半に渡って無傳塾アイルランド支部で稽古をしています。
この稽古を始めてから、体の変化を感じるようになりました。今までと体の使い方が変わって来たのです。姿勢が良くなり、呼吸が楽になり、体や心もリラックスして、頭もすっきりし、これはなぜだろうととても不思議に感じています。
稽古では、“合気”を使う(養う、育てる)ことに集中します。体内の中心からグーッとのびる、目には見えない(小さな、洗練された)動き。無傳塾で習う技は、柔術や合気道などでも見られる技ですが、その完成度、レベルの高さは全然違います。その違いが少しずつ分ってきたところです。(注:ジョセフは合気道の有段者)
大東流・無傳塾は飯田宏雄先生を最高師範として、その師、堀川幸道氏より直伝を受けた大東流の直系である。オシンは北海道・札幌に8年間滞在し、この間飯田師範のもとで修行を積んだ。特に古流を習うのに大事なことは、直伝を受けたものから教えを受け、実際に肌で感じ、それを何度もなぞることだ。
今、オシンはそれをアイルランドで私たちに教えてくれています。

大東流には、“柔術”“合気柔術”“合気の術”と3つのパートがありますが、無傳塾では、“合気の術”に焦点を当てて稽古をします。柔術や、合気柔術では、主に関節を攻めますが、“合気の術”は、体の中心をコントロールして攻めます。
稽古は、“型稽古”と呼ばれるやり方です。これは、ほとんどの日本の古流武道で取り入れられている稽古法です。塾生は、何度も何度も、体が覚えるまで技をなぞり、今稽古していることだけに集中します。

一番の基本技は“合気上げ”です。初めて見たときすごく簡単そうに見えましたが、実際にやってみていかにこの技がむずかしく、全ての技のもとになっているということが、いま分ります。塾生はこの“型稽古”で何度も何度もこの技を練習し、“合気上げ”を習得することで、合気の体を作り、技を磨きます。

無傳塾での稽古は素晴らしい(値打ちのある)ものです。
特に、欧米では心と体は別々のものと考える習慣があり、まず自分の頭で理解しないと納得できず、慣れない稽古法でストレスをためる人が多いのですが、型稽古を受け入れることで
心が落ち着き、自分の体(の中)を注意深く感じることが出来るようになってきました。
いつも、稽古のあとはリラックスした気分になり、同時に元気がみなぎる感じがします。
また、稽古を通して、日本の文化や考え方なども学んでいると思います。
いつも素晴らしい稽古をしてくれるオシンに感謝します。

 (日本語訳:バーク 恵)

▼ English

I have trained with Oisin and Megumi Bourke for one and a half years and thus far the experience has been deeply fascinating. Also rewarding, I am learning to use my body in a more relaxed manner, benefiting my posture, my breathing and mental composure.  The focus of the training is to use ‘Aiki’. Subtle movements of extension emanating from the center. The techniques used can be seen in variation in many systems of Jujutsu and Aikido. However the focus and level of control is different. It is something that must be felt to even begin to be understood.
The Daito Ryu of the Muden Juku is headed by Hiroo Iida, a direct student of Kodo Horikawa from whom he received the rank of Shihan. Oisin spent 8 years living in Sopporo training under Iida Sensei during which time he studied with the group and privately, a important part of training as direct transmission is the only way for the school to stay alive. For Oisin passing on what he learnt accurately is of vital importance.
The training of Daito Ryu is divided into three parts. Jujutsu, Aiki Jujutsu and Aiki no Jutsu. The focus of the Muden Juku is Aiki no Jutsu, the most subtle aspect of the School, although we also practice occasionally the Aikijujutsu techniques to better understand specific principles. In Aiki no Jutsu the goal is control via the center, whereas in Aikijujutsu you usually control through a joint manipulation.
The training method is Katageiko. This term is common to most traditional Japanese Budo. The student repeats an exercise until it is time to move on, keeping their mind in the present and thus in connection with their body. The first Kihon practiced is Aiki Age. Pronounced A-gai. At a glance it appears very simple but with persistent practice its complexity becomes apparent.  A lot of time is given to this one technique as it conditions the student for the entire practice and in this way the individual becomes a part of the Ryu (school). As the student becomes more conditioned by the practice, the body habits and reflexes improve accordingly and thus this connection to the Ryu deepens.
The practice of the Muden Juku is of great value, especially in our western cultures where often people think of body and mind as two separate things often even in opposition. Excessive intellectualising is counterproductive and frustrating. However with the mind calm the subtlety of the Art can be more readily perceived. I often feel both more relaxed and energised after the training. Besides from this the insight into Japanese Culture and Budo derived from these classes is must insightful.
Thank You to Oisin and Megumi for all the time and patience.

2016 謹賀新年

HAPPY NEW YEAR 2016

HAPPY NEW YEAR 2016

布施陽菜

型稽古が教えてくれるもの

IMG_3139

私が大東流無傳塾に入ったきっかけは海外旅行で外に出た時のことでした。自分が何も日本を理解していないと痛烈に感じたからでした。
それも現地の方と自国について語った訳でもなく、ただ日本の外に出た、とゆうだけで。
渦中にいると何事も中々見えにくいものがあります。
ただ一歩、自分と思っている境界線から出るだけで、見えるものはその意味や深さを変え「何も知らなかった」と気付けるのかも知れない。そして初めて「知る」ことが出来る。

新しい何かを知り理解しようとする時、思わず自分の中にある知識と照らし合わせ、「そうゆう事か~(わかったぞ!すでに知っているアレと同じ事だな!)」としてしまうと理解できた気がするけれど、その実今までと違う使い回しが増えたぐらいで何も得ていないものです。ではどうしたら新しい事を知れるのか。
それを体験で、実生活に活きるように教えてくれたのが型稽古でした。型稽古があるのは武術に限った事ではありません。これは廃(すた)れつつある日本伝統の物事や人間関係全般に対する“学び方”“関わり方”だと考えています。日本は他国の文化を自分のものに昇華融合するのが上手いと言われます。日本が明治維新~戦前、その勢いにも“らしさ”を損なわずに諸外国の技術や文化を取り入れられたのはこのお蔭だったのではないでしょうか。

「学ぶ」は「真似ぶ」とも言われます。型稽古はまさにそれで、今やり続ける意味が分からなくともひたすら真似て真似て少しずつ自分の中に型が出来てきます。そうしながら型に習い倣(なら)う。知らないものをそのままに手を加えず自分の中に受け入れ熟成させていくと、「型」は自分の人生の経験に応じて深さを増し、その意味を教えてくれます。この意味を自得できる喜びは本当に言葉にならない程です。
違う考えや価値観を自分に招き入れる事は、今までの価値観や生き方を壊すことではなく豊かにすることだと知識ではなく経験としてわからせてくれたのです。
そして優れた「型」は物差しとなり、自分が理から離れてはいないかを見つめる手立てにもなってくれます。
大東流は受け手も型で技を受けますが、動きが決まっていればともすれば“技がかかったフリ”の馴れ合いになると危惧されがちです。しかしそれは目の前に立ってくれている現実の相手に向き合っているのではなく、脳内の仮想の相手の動きに対応しているに過ぎません。これが時代を遡り生死のかかった局面だったらどうでしょう。本当の相手を視ていないとしたら?
人間関係も同じことで、人と会話する時、自分の中に残るものは自分の解釈か、それとも相手の話か。残るのが自分の解釈なら相手とではなく自分と会話している事になります。思い込みの世界から抜け出し「相手の話を聴く」事が出来た時に初めて関係性が結べたと言えるのではないか。そう気づけるようになりました。

そして心と身体の関係も教えてくました。稽古をするうち初めに感動したのは、力がぶつかって思うように身体が動かせない時と上手く行く時の違いは何かと考えた時、技術的な面ではないですが、上手くいく時は何も思考しておらず ダメな時は相手を倒そうとしていて、言いかえれば相手の状態(状況)を無理やり自分に合わせて動かそうとしている時は上手くいかないのです。
相手は変えられない、変えられるのは自分だけと精神的なことではよく言われますが、身体でも全く同じ法則なのかと分かった時でした。心(思考)であっても身体(行動)であっても相手を変えようとすると必ず衝突する。

IMG_3268

しかしこれではまだ頭の中の世界。実生活で活かす為には身体(現実)に落とし込む必要があります。
その為にも稽古稽古。自分が行動レベルで変わる事を楽しみながら続けて行きたいと思います。
場を創り教えてくれる師匠にも、それに付き合ってくれる仲間にも、型を伝え続けてくれた先人にも感謝です。新たな一歩を踏めた自分が嬉しくて歩みは一生止められそうにありません。

改めて考えると当たり前に思えますが、心と身体は同じ人。心を可視化させたものが身体だと言っても過言ではないくらいで、身体を見つめることは心を見つめることと同義なのだと思います。

弐段 布施陽菜

南出憲宏

無傳塾は本物の合気を知るための場所(型稽古について)

南出憲宏

無傳塾では型を通して深遠なる合気の体づくりをしている。型稽古は決して実戦のひな型ではない。即物的な強さを求めるものでもない。従って、この理解なしに合気を知ることはできない。

型稽古というと、取と受という関係の中で、取は技をかける方(後の先なので攻撃される方)で、受は技をかけられる方(攻撃する方)という単純な解釈をされやすいが、そうではない。取と受が、全身全霊で自分自身を型に落とし込み、今までの自分が経験をしていない感覚を感じ取り、取と受が互いに感覚の薄皮を一枚一枚剥ぎ取っていく作業なのである。そのため、取はどうしても相手をやっつけてやろうと技をかけることに終始し、それに対し受は取の攻撃にやられまいと頑張ることでは決してないのである。

実際の攻防においては、目まぐるしく状況が変化する中で、一瞬でも掴まれた部分に固執すれば、居着きを生み、自身の体は隙だらけとなり、敵の攻撃に晒されることになる。型稽古は実戦のひな型ではないものの、その認識を踏まえた上で型稽古に臨まなければならない。例えば、型稽古における受は、取の腕を掴み、取がその腕をある方向へ動かそうとしているがそれを押さえつけ、取の腕を動けなくさせることや単純に取の動きに迎合して動くことが正しい受け方であると勘違いしてはならないということである。取の動きが柔術か、合気かの精緻に差があっても、受は常に体感覚を鋭敏にして、取が動く時に取の微細な感覚を感じとり、取の崩しがなくなれば、いつでも動くことができる状態になっていることが重要なのである。また、取はその受の反応を感じ、自身が正しく動くことができているのかを検証するのである。(無傳塾では型で投げ型で受けよという言葉がある)

しかし、型稽古を実戦のひな型として捉えてしまえば、勝ち負けや相対的なスピード、筋力による起こりのある発動の域を出ることなく、身勝手な稽古を繰り返すのみで、いつまでも合気の極みに到達することはできない。自身の体と脳が経験をしたことがない感覚を呼び覚まし、動きの質的転換を行うには自分自身の素直さが求められてくる。だから、合気を修得するときに自分の今までの経験や考え方が邪魔になるのである。子供や女性の方が合気の技が上手であることに合点がいく。

飯田先生が指導してくださることを、自分の浅はかな考えで捉えるのではなく、純粋に受け入れ、ただひたすら型に自分自身を落とし込み、稽古を続けることによりはじめて新しい発見ができるのである。その積み重ねの先に、合気があり、実戦にも対応しうる心と体がいつの間にか出来上がるものなのかもしれない。

最後に、合気は見ただけで決して理解できるものではない。無傳塾には合気を修得するための方法論がある。堀川幸道翁の合気を求め、真摯に修行を続け、合気を体得するための術は何たるかを知り、その方法論・稽古法を含めた塾風を守り続けている飯田先生に畏敬の念を強く感じる。何故なら、この塾風なくして合気の体得はありえないのだから。

2015年11月25日
弐段 南出憲宏

南十字星が輝くニュージーランド訪問記

2015年11月1日から8日まで

Iida poster

現地ではポスターも作ってくれていました(PDF)

飯田の20代はスキーと大東流合気に熱中していた頃であった。
スキーの出来ない日本の夏がニュージーランドでは冬である。
ニュージーランドでスキーをしたいと憧れた国のひとつであった。
50年前のニュージーランドのイメージとしては羊の数が人の数よりも多いという羊の国であった。今では羊から牛に変っていた。
平地から山の全てが緑(牧草地)に包まれた広大な土地に牛がぽつんと一頭というイメージである。
今回訪問したDavid Lynch先生との出会いは季刊誌AIKINEWS編集長Stanley Pranin氏の記事であった。
これらのキッカケでニュージーランドに行くことになりました。
心よく受け入れてくださったDavid&HISAEさんご夫妻の懐に飛び込んだという訳であります。
今回のニュージーランドセミナーを開催してくれたのは合気道光心会会長のJustin Lewさんがオーガナイズ(organize)してくれたお陰によるものであります。
受講者のみなさんは大変熱心に飯田と共に汗を流してくれました。
和気あいあいの中アーという間の4時間余りのセミナーでした。
大東流合気が取り持つご縁を実感した一時でした。

今回のセミナー開催に当たり口利きをしてくれたDavid Lynch先生は、いままでのセミナーは合気会系の先生方ばかりなので技の内容はほぼ似通ったものであったが、今回は大東流の合氣をテーマにしたもので新鮮味があってとても良かったと誉め言葉を頂きとても嬉しかった。

合氣の未来を世界とつくる
「AIKI」を世界語に

感謝
2015年11月吉日
合氣護身術大東流無傳塾
塾長
最高師範 飯田宏雄

  IMG_0648

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカからRAY GACITAさんを迎え特別稽古会を開きました

RAY GACITA氏(前列右端)

RAY GACITA氏(前列右端)

アメリカはニュージャージー州から来日して9月19日〜23日の5日間、特別稽古会を開催しました。
折しもこの期間はシルバーウィークに当たり塾生も稽古に出やすく、多くの方が参加してアメリカとの交流稽古会になりました。
9月21日は15年ぶりに改訂した審査技(初級から初段まで)を撮影しました。
大東流無傳塾の合氣の技を修行に来ていたRAY氏も入って頂き無事収録を終えました。

感謝

2015年9月21日
合氣護身術大東流無傳塾
塾長        
最高師範  飯田宏雄

巻物の授与

大和田善正五段は天を貫くように澄みわたった青空の佳き日に2巻目の巻物が授与されました。

大和田善正五段

大和田善正五段

この大東流は東の日の出ずる国の武術で清和天皇に発し新羅三郎源義光を始祖とし代々甲斐武田家に伝わり明治になって中興の祖武田惣角源正義から永世名人位堀川幸道〜井上祐助〜2001年に合氣護身術大東流無傳塾を創立した飯田宏雄、そして門人の大和田義正へと綿綿と受け継がれてきたこの大和心の武術を次は大和田善正が次の代の門人に受け継いで貰いたい。
当日はアメリカからRAY GACITAが大東流無傳塾の合気の技を修行するため来日しており、撮影会を行いました。
ここに居合せた方が巻物授与の立会人となりました。
大和田善正五段へ巻物授与

大和田善正五段へ巻物授与

巻物授与後塾生たちにご披露しました折、巻物を解いた時に「ウァー墨の薫りがする」と感嘆の声がとても印象に残りました。
この巻物は無傳塾の三種の神器のひとつに加え後世に受け継いでほしいと願っております。

感謝(敬称略)
2015年9月21日

合氣護身術大東流無傳塾
塾長
最高師範   飯田宏雄