片野淳彦

「捨て置け」の術理と紛争解決

片野淳彦

片野淳彦さんの写真

右が片野淳彦さん

無傅塾で合気の稽古をはじめて七年になります。子供の頃から運動が苦手で、運動不足を感じる年齢になってもスポーツには抵抗があり、どうせやるなら武道をと思っていたところ、縁に恵まれて稽古を続けています。おかげさまで体調は良好で、雪道で転ぷのが怖くなくなり、自分の体の変化に小さな感動を覚えながら、毎日を過ごしています。

稽古ではしばしば「捨て置け」と教えられます。手首をつかまれると、どうしてもそれを振りほどこう、つかみ返そう、ひねってやろうと邪(よこしま)な気を起こしがちです。そうすると、つかまれたところから力を伝えてしまい、起こりが生じたり、体が居着いたり、腕の力だけで投げようとしたりして、技が重くなるのです。むしろ、つかまれたところを支点として動かさない、相手に力を伝えない、つかまれたところは「捨て置け」ということを、繰り返し稽古しています。腕力で相手を凌駕するのではないから、腕力の多少に関わらず相手を制することができるわけです。

私は日頃、大学で教員をしながら、紛争解決の研究をしています。家庭や隣近所のいさかいから、学校や職場のトラブル、会社や組織での交渉、通商や領土をめぐる国際紛争まで、種々のもめ事を幅広く扱う研究です。紛争は多岐にわたりますが、人間関係が介在しない紛争はありません。そして興味深いことに、紛争解決においては「捨て置け」の術理に通じる英知が認められるのです。

たとえば「いじめ」について考えてみます。いじめをなくそう、と誰もが言います。すると、なくすべきいじめとは何か、あれこれと定義がなされます。そうして、いじめが疑われる事件に注目する人々の目は、いじめが「あったかどうか」に居着くことになります。これこれの定義に該当しない、だから執拗な嫌がらせはあったが、いじめにはあたらない、などと報じられてしまいます。こうした状況に対して、児童心理司の山脇由貴子さんは「いじめ」という言葉を使わないことを提案しています。いじめのあるなしよりも、子供たちの安全確保に集中することで、結果的にいじめがなくなっていけばいいからです。いじめをなくすには、いじめは「捨て置け」というわけです。

紛争でも合気でも、目に見える対立点は氷山の一角にすぎないということを、「捨て置け」の術理は教えています。かくして、力を伝えず、軸をぶらさず、まっすぐ立つことを稽古するわけですが、真に「捨て置く」ためには、「捨て置こう」とする執着をこそ「捨て置か」なければならないところが、この術理の一番難しいところなのだと思います。

湯浅拓幸

合気技の無名性と型稽古について

大東流 無博塾 三段昇段審査 論文湯浅拓幸

無傳塾に入門以来早くも7年の月日が経とうとしている。本当に月日の経つのは早いものである。その間、700回ほど稽古した。それは常に「型稽古」であった。そして、この頃、無博塾の本領は型稽古にこそあると実感している。

入門当初は塾長が稽古の際に「あれやって」とか「この技を稽古しよう」とか言われるのを聞いて、正直なところ、(いささ)か奇異に感じることがあった。(かつ)て稽古していた少林寺拳法との余りの違いにとまどいを感じることもあった。しかし、今やその思いは稽古を重ねるに従って、当初とは全く別の思いへと変化しつつある。大東流の技は、就中(なかんずく)無傳塾の技はまさしく「あれ」であり「この技」なのである。その技の無名性にこそ大東流の本質を考える鍵が隠されているのではないかと思い始めているのである。

少林寺拳法においては、「技法の体系」として技が「柔法」と「剛法」の二系統に分類され、それが更に幾つかの「拳系」に整然と組織されている。少林寺の拳士は六百数十とも言われるそれらの技を、入門時に全員に配付される「科目表」(と名付けられた冊子)に従って、順次一つ一つ稽古し身につけて行く。勿論全ての技に名前が付けられている。技をイメージさせるかなり具体的な名前である。そして、明瞭に示された基準(稽古回数、経過月数、指定された技の修得)に従って、師匠の推薦により、何人かの審査員の下で実技と論文の昇級・昇段審査を受け、その双方が基準点数を満たした者が合格とされる。実に組織的且つ合理的であると同時に極めて有効な稽古方法であると思う。何よりも、稽古する者にとって「自分の技がどこまで進んでいるのか」が分かり易く、向上意欲を持ちやすいのが特徴である。私は、こうした稽古方法は勿論のこと、その根底に流れる禅思想の面でもその技の面でも少林寺拳法は極めて優れた武道であると今も思っている。

一方(ほとん)ど全ての大東流の技は名前を持たない。名前を持っているにしても抽象的な名前が多い。そして、少林寺拳法ほどの組織的、合理的な稽古方法をも持たない。ひたすら型稽古である。そのためか、自分の技がどこまで進んでいるのか、中々分かりづらい。意欲を持続させることが難しい。それでは型稽古は有効な稽古方法ではないのか。答は否である。それどころか、この型稽古にこそ大東流の本質が潜んでおり、その技の無名性にこそ合気技の神髄が隠されているのではないかと思われるのである。合気を身につける為にこれほど優れた稽古法はないと思われるのである。合気技は畢竟(ひっきょう)合気技でしかない。「合気」を身につけることこそが型稽古の唯一の目的であり、最終の目標なのではなかろうか。

大東流における有名無名のあの技やこの技は、その技を使えること自体が目的なのではない。あの技やこの技が使えるようになることを通して、究極の「合気」を身につけることこそが最終の目標なのである。究極の到達点なのである。そこに到達した時、それぞれの技に名前は要らない。敢えて言えば「合気」という名のただ一つの「技」がそこに存在するだけである。その境地を目指して、我々大東流を稽古する者は日夜型稽古を繰り返し、修行に励むのである。「何もしない」とは、「あの技やこの技をしない」ということなのではなかろうか。「ただ黙って背筋を伸ばし、姿勢を正して真っ直ぐにそこに立つ、座る。」「ただゆったりと静かに息を吐き、吸う。」「全身のカを抜いてただ相手の前に立つ、相手のカを受け容れる。」それは通常の武道の概念からすれば到底「技」とは言えない。しかし、我々無傳塾の目指す技はまさしく「これ」なのであり「あれ」なのであり「あの技」に他ならぬのである。

「合気」とは一体何か。まだ僅か7年しか修行していない私にそれはわからぬ。或いは永久にわからぬかもしれぬ。しかし、それは感じることができる。人聞の体と心との玄妙不可思議な働きとしか言うことのできぬものとして確かにある。自分が手を開く時、相手が崩れて行く。少なくともその時に「合気」はその姿を垣間見せる。この「手を開く」ことこそが型稽古の出発点であり、到達点である。或いは、その全てであると言っても過言ではあるまい。
この「技」への道のりは余りに遠く、余りに長い。しかし、到達点は恐らくある。見えている。そして、型稽古のみがこの「技」に、「合気」という名の「唯一の技」に到達するただ一つの道なのではなかろうか。型稽古とは、謂わぱ、「一つ一つの技」という「個物」を通して「合気」という「普遍」に至り着く為の唯一最高の道なのではなかろうか。我々は、それを信じて、一歩一歩修行して行くしかない。私は、嘗て明暗尺八と少林寺拳法の修行を通して、「量が質に転換する」ということを学んだ。「千回の稽古」ということの意味を教えられた。先ずは「千回の稽古」を目指して、地道に気長に(ゆる)むことなく稽古を続けたいと思う。「朝鍛タ錬」と古人は言った。この言葉は重い。

修行

(平成27年5月23日)

宮崎裕美

ハマってます!北海道にゆかり深い大東流合気柔術

ハマってます!宮崎裕美

朝日新聞BunBun JUL2005NO.148 2005年7月号

宮崎さんは、3人目の子供を妊娠中に、安産のために西野流呼吸法を習った。その深い精神世界に触れた彼女は、やがて「気」を知りたいと思い、呼吸法の先生の紹介で、大東流合気柔術無傳塾の飯田宏雄師範の門をたたく。師範の手を握ったお弟子さんが、手を返したとたんに飛んでいったのを見て仰天。その美しく精緻な技に魅せられた。以来6年、家族の理解も得て、週に2〜3回の稽古に欠かさず通っている。この5月には、無傳塾が主催した国際フォーラムで、きたえーるの夢の舞台に立つほどに腕を上げた。

大東流合気柔術とは、信玄の没後、会津武田に興った古武術。中興の祖、武田惣角は、北海道に長く住み多くの弟子を育てたが、飯田師範はその孫弟子にあたる。

動く禅とも呼ばれる合気柔術の世界にハマっていった宮崎さん。好きなことをやっているという充実感から子育ても苦にならず、家庭も明るくなった。「自分の体や心と向き合い、ニュートラルな状態に身を置くことが大切なので、稽古を重ねるごとに人を受け入れる気持ちが育ってきたと思います。人とぶつかり合うことがなくなり、主人も、あまり怒らなくなったねと言っています。気持ちが前向きになりました」。合気(呼吸力)で相手の力を瞬時にとってしまうため、力はまったく不要。むしろじゃまになるというものなので、女性や子供にもまったくハンディなく生涯続けられ、ほどよい運動量で健康にもいいという。

現在は奥義参段の腕前。30年かかって師範になった先生に習って一生続けて師範になり、世の中に日本の文化として大東流を広めていくのが夢だという。「とくに子供たちに教えたいですね。和の心を教育して、立ち居振る舞いや優しさ、礼儀正しさなどをみにつけていってほしいんです」。

朝日新聞BunBun JUL2005NO.148 2005年7月号より

南出憲宏

入塾のきっかけ

もっといい合氣をつくろう!合氣の好きな人がいい合氣をつくる。

大東流中興の祖と言われる武田惣角翁並びにその中でも不思議な「合気」の技を体現する永世名人と謳われた堀川幸道翁の存在を紙面等で知っていた。力を使わず、攻撃してくる相手をいとも簡単に崩し、投げて、更に固めて動くことができないようにしてしまう「合気」というものにとても魅力を感じ、長い間自分の中にくすぶるものがあった。

転勤をきっかけに大東流の本場である北海道に縁あって来ることになった。その時に知ったのが「合気護身術大東流無傳塾の飯田宏雄先生」の存在であった。無傳塾のホームページやBAB出版のDVD「触れ即合気」も拝見し、そこで大変驚いたのは、女性や子供(子供と言っても小学生以下と思われる子供)が手をすっと開いたかと思うと、大のおとなが自身の重心をとられ、みるみるうちに体がのけぞり、崩れていっているではないか。とても衝撃的な光景であった。わざとやっているようにはとても見えず、巷によく見られるタイミングや筋力的な力感のある動きとは明らかに異なるものがそこにはあった。ここには「本物の合気」に触れることができるのではないかと無傳塾の門を叩いた。気さくな飯田先生から温かく受け入れていただき、入塾を決めた。

飯田先生のもとで稽古を重ねるうちに、一般的な筋力による力とは違い、人間が本来持っている自然で純粋な心・体から発現される力(相手とぶつからない力)を知ることになる。人間の「本当の理解」とは、単に頭の中ではなく、自分の肌、体で感じたものこそ、本当の意味での経験となり、更なる理解を深めることができるのだということをつくづく思い知らされた。昨今、インターネットなどの媒体において、様々に展開される合気に対する考えや意見に触れる機会があるが、結局のところ、自身が体験もせず、感じてもいない者同士で論じ合うことが無味乾燥のように思えてならない。

まだ拙い自分ではあるが、無傳塾で稽古をすればするほど、少しずつではあるが、心と体の深まりとともに合気とは何かをおぼろげながら感じることができるようになってきた。何よりも飯田先生の薫陶を受けることができること。そして、いっしょに稽古する仲間達のおかげである。

堀川幸道翁の背中をただ純粋に、ひたすら追いかけ、柔術でもなく、合気柔術でもなく、純粋な「本物の合気」を求め続けて、今もなお、謙虚に修行を続けられ、その合気を具現化できる人が目の前にいる。それが飯田先生である。「本物の合気」を習得するための稽古法と環境がこの無傳塾には用意されている。そして無傳塾には不世出といわれた合気がオープンにされていて、合気という世界に誇るべき日本の無形文化を知る機会が眼前に広がっている。
一緒に稽古しましょう!!

2014年9月12日
合気護身術大東流無傳塾
初段 南出憲宏

小林風人(中学二年生)

私が大東流合気柔術(合気道の源流)を始めたのは今から約一年前であります。当時、合気道という名前すら知りませんでした。
しかし稽古をしていくうちにこのような事を思い始めたのです。
「合気道(大東流合氣柔術)はピアノと同じである」
私は4才からピアノを習っています。もうかれこれ10年になります。
「呼吸も音楽(リズム)なのだから呼吸をしっかりしなさい(音楽用語ではブレスという)」「姿勢を正しなさい。体が前のめりになっていますヨ。手をしっかり開かないと弾けないヨ(1オクターブなど)」とよく言われます。
この「呼吸、姿勢、開手」は合気道(大東流合気柔術)とピアノは全く同じなのです。
飯田先生が監修した無傳塾のDVD「受け継がれる達人技 触れ即合氣」の表紙には「姿勢、呼吸、開手」の語があります。これを知り、もっと大東流合氣柔術を学びたいと思ったのであります。
競技スポーツと対極にある合気道は勝ち負けではありません。
だからこそ試合方式でない日本古来の稽古法である型稽古の合気道をやる事で心身を鍛え整えられるのだと私は思います。
大人の方は、ストレス解消につながると思います。
だからこそ、多くの人々に合気道(大東流合気柔術)をやっていただきたいのであります。
合気道はただチカラまかせで相手を倒すのではなく
合気という術があるから小さなチカラで投げることができるのです。そんな武道だと思います。
武道を詳しく伝える「月刊誌 秘伝」には、このような事が書かれていました。大東流には技に名前がついていません。名前がついているとどうしても、その名前にとらわれてしまう「言語化しないことの強味」技はこうしてやるのだと決めてしまう(言語化する)のではなく、色々と工夫していく事が大切だと思いました。
「力を出さない 力を与えない 何もしない」ことから生れる合気道を是非一度体感していただきたいのです。
私はこれからも合気道(大東流合気柔術)を続けていきます。

稽古
2014.9.1

オシン・バーク Oisin Bourke

Oisin Bourke

Oisin Bourke

こんにちわ!
オシン・バークです。私は36歳のアイルランド人です。
2003年10月から札幌の無傳塾で大東流合氣柔術の稽古をしています。
アイルランドでは、ホワイトフライヤー道場で約3年、すばらしい先生達(ブレンダン&ブリジット、元気ですか?)から合氣道を習いましたが、合氣会系、イワマ流、トミキ流などの様々なスタイルも体験しました。
また国外から著名な先生を招いて行われるセミナーでは、メリー・ハイニー、スーザン・ペリー、ヘンリー・コウノ、オーバリー・スミス、マイク・スミス、ア ラン・ロドック、エリス・アムダー、ルック・マセット、フリップ・ゴタード、ジョン・ロジャース、ケン・コティエ…等から指導を受けることが出来ました。
これらの先生はそれぞれのスタイルを持っており、指導方法も異なりますが、私が強く感じた共通 点があります。それは合氣—理解しずらい(つかみどころのない)何か流れる力—を使うことです。
2年前私は初めて札幌の飯田先生の無傳塾のクラスに出席しました。
私は先生の両手首を掴み、その時初めて合氣の技を体験したのです。
それは一瞬の出来事でしたが、確かな手ごたえでした。
その後も先生と連絡をとりつつ、”どうしても日本で飯田先生から合氣の技を習いたい”という気持ちが高まり、とうとう日本に来る決心をしました。
そう、今、私は札幌にいます!
私の日本語はまだ上手じゃないけど、合氣道や武道についていろいろな人と意見交換したいと思っています。
日本での生活や合氣道について何か知りたいこと聞きたいことがあったらいつでも連絡して下さい。
(北海道は合氣道の歴史の宝庫です)
ハッピー、トレーニング!!

▼ English

Hello!
My name is Oisin Bourke. I’m a twenty nine year old irishman and I’ve been in Sapporo for the last six months or so practising Daito-ryu Aikijutsu with Muden Juku. I had practised aikido for previously in Ireland, and I was exposed to lots of different styles(Aikikai, Iwama, Tomiki, to name a few).
Apart from practising under some great instructors at the Whitefriar Dojo(Hello Brendan,Bridget et al),I was lucky enough to attend seminars under some excellent teachers like Mary Heiny Sensei, Susan Perry Sensei Henry Kono Sensei, Aubery Smith sensei, Mike Smith Sensei, Alan Ruddock sensei, Ellis Amdur, Luc Mathevet Sensei and Phillipe Goutard Sensei, John Rogers Sensei and Ken Cottier.
I mention the above because all have radically different styles and interpetations of Aikido, yet I feel that there is a common thread running through each style. That common thread is the use of “Aiki” an elusive, fluid force.
A couple of years ago, I was in Sapporo and attended a class given by Iida Sensei of the Muden Juku. I grabbed his wrists and experienced aiki-not as a fleeting experience, but as a definate “thing”. We kept a correspondence over the next year and I decided that here was a once in a lifetime opportunity to learn aiki from a master. So here I am!
My Japanese is still basic, though improving thanks to the help of my long Suffering girlfriend, but the chance to talk on a deep level about all things aikido related is limited. If you have any questions or comments about life and training in Japan, training, aiki history, (Hokkaido is an untapped source of aikijutsu and aikido) write me!
Happy training!

エドワード・ダイソン Edward Dyson

Edward Dyson

Edward Dyson

合気の起源:日本人にしろ、外国人ににしろ、白滝と言う北海道の田舎町を知っている人は少ないと思う。白滝、植芝盛平が武田惣角に習った場所で今年7月に無 傳塾の合宿が行われた。札幌から離れ、山に囲まれて、皆と一緒に稽古するのは珍しい機会だった。塾外の方と稽古する機会もあった。無傳塾の大学生とも久し ぶりに稽古して、上手くなっていると思った。若い人達がずっと続けるといいと思った。

ある意味で、合気は木を育てることと似ていると考える。最初弱いけど、環境が良ければ自然に強くなる。もしかして“合気の苗”も重要かな!来年の3月にイ ギリスに帰るとしても、僕の妻と8月生まれの杏奈を連れて、新たな生活を初めてからも稽古を続けたいと思う。日本で初段を取れればいいと思うが、それはた だの始まりにすぎない。それからどうやって合気を育てて、生活に使えるようにするかが僕の課題。

良いことは、我々は少しずつ世界中にネッワークを広げていること。フィンランドにも行けるし日本にもまた来るし、いつまでもお会いできることを楽しみにしていきたいと思う。

▼ English

The roots of aiki; probably few people, either in Japan or abroad, would expect then to lie in a smaIl town in Hokkaido−Shirataki. We stayed there for our Gasshuku in JuIy. It was a rare chance to be with the other members in a pIace, surrounded by hills and far from Sapporo. I enjoyed training with people from outside Muden, and with the university students, who are making great progress, and who I really hope will keep training in the future.

In some ways I think developing aiki is like trying to grow a tree. At first it is quite weak, but in the right conditions it will grow naturally. Maybe the seeds of aiki are as important as the rootsl Maybe next March I will return to the UK with my wife and little baby Anna, born in August. We will try to make a new I leave Japan, that will be great. Of course, that really is the beginning-the question is how I continue to grow the aiki and to apply it in my everyday life.

But the good thing is it seems we are collecting a network of friends around the world! We will probably visit Finland and are sure to be back in Japan, and will look forward to seeing our friends in Muden Juku whenever we can!

湯淺拓幸

大東流合氣柔術無傳塾
普化正宗虚霊山明暗寺導主、明暗尺八免許皆伝 湯淺拓心

湯淺拓心

湯淺拓心

高校時代から、日本及び東洋の古典的・伝統的な文化に対する憧れの念が強く、心中密かに文武両道・文武不岐の侍を目指して現在に至る。

平成20年(2008)10月、偶然にも大東流合氣柔術無傳塾塾長最高師範飯田宏雄先生と出会う。そのおよそ1週間後、見学に出かけた西区体育館で飯田先 生が次々と演武してくださった神技とも思える絶技・妙技の数々を、未だに私は忘れない。その場で入門、すでに56歳になっていた。思えば大東流合氣柔術へ の13年にも及ぶ長い憧れの日々であった。10月21日、初めての稽古、大東流合氣柔術に完全に魅了される。

その後の充実した日々は、大東流中興の祖武田惣角から、堀川幸道先生、飯田宏雄先生へと真っ直ぐに続く大東流合氣柔術の正統・本流に繋がり、打ち込み、心 身ともに健康でこのすばらしい武術を稽古できることの幸せを噛み締める毎日である。また、修行すればするほど、合氣というものに対する神秘感は深まるばか りであり、この合氣こそは、日本の文化、就中その武的な側面が生み出した究極の到達点なのではないか、と思われてならぬ。そうして、それを最も正統的に受 け継いでいるのが、無傳塾であり、奇しくも武田惣角生誕150周年・同じく渡道100周年、堀川幸道先生没後30周年に当たる来年5月に開催される、無傳 塾創立10周年記念大会、再来年のフィンランド遠征を一つの節目として、大きく世界に羽ばたこうとしているのである。

湯浅拓心

湯浅拓心

「呼吸と姿勢」、恐らくはこの二つこそが、日本の伝統的・古典的文化の精髄であり究極の到達点に他ならぬであろう。そうして、それは深いところで、禅及び 古神道の心につながっていると思われる。その意味でも、大東流合氣柔術こそは、日本の伝統的・古典的文化の究極の姿を端的に体現するものであり、日本の真 姿を世界に知らしめ、広く世界に羽ばたく可能性を秘めていると信じて疑わぬのである。