かた(型)稽古について考える

かた(型)による技法の伝承は日本国特有の文化伝承のあり方であり、武道だけではなく茶道華道能楽歌舞伎などの芸道において文化のかたちを変えずに純粋に伝えるということに対しては有効に機能してきたといえるでしょう。
けれども、後世の者が創出者の意図を忠実に思い量り、その技を再現するための懸命の努力と工夫を怠ってしまえば、技は形(かたち)ばかりのものに形骸化してしまう恐れもあります。古来わざが鋳型(いがた)に泥(なず)むことを戒めております。
ここでかた(型)稽古について考えてみます。
当時中西道場では竹刀稽古が盛んに行われていました。白井享義謙(しらいとおるよしかね)はこの竹刀稽古そのものは否定しないまでも、小手先の技や体力まかせの稽古方式に疑問を抱き、同門の先輩であり一刀流組太刀(形)の名手といわれた寺田五郎右衛門宗有(てらだごろううえもんむねあり)に師事しました。
竹刀派(実践派)は木刀派(形稽古派)の白井を潮笑の眼で見ておりました。
竹刀剣術だけでは武術たる実践性は身につかないので古伝の真意を伝えている剣術家に師事して、形剣術と竹刀剣術との併習が最も望ましい姿だと警鐘を鳴らしています。
ある日竹刀派は白井に試合を申込みました。白井は打ち込む箇所を予め指定して確実に指定した所を攻めて仕止めました。そ〜れ小手を打つぞ、次は面だそして胴だと言ってことごとく予告通りの攻めをして圧勝しました。
柔道の父嘉納治五郎先生は高弟に対し古流に学べとよく口にしておりました。
大東流無傳塾は型稽古が実践型稽古よりすぐれている稽古法であると断言しているわけではありません。
型稽古で身体の使い方の深堀りをして質の向上に繋げていくのがよいと思う。その質をキープするために稽古は真剣にやりなさい。
つかみにいくときは剣術で言うところの相打ちの気持で本気でつかむようにしなさい。
本気で掛かってこないときは合気が掛からないし又反撃しなくても済むことなのです。
あるとき某門弟がいみじくも告白してくれました。
崩されたときに先生の腕にぶらさがっていたことがありましたと。否この受では駄目だと思い改心して真剣に取りにいって反撃を試みようとしましたが手足が硬直していて反撃が出来なかったことを告白してくれました。
取と受の両者が本気で対峙してはじめて質の高いかた(型)稽古が成立するのであります。
大東流無傳塾の稽古は形で投げ形で投げられろ!
真の技は必然的に真の受けの形になるものなのです。まさしく感覚の武術であります。投げた人は投げたときの感覚をそして投げられた人はまた投げられたときの感覚をDNAに擦り込むようにして下さい。と指導しています。よく自分の身体に聞け、自分の身体と対話をしながら稽古をするように言っております。
堀川幸道先生は日本舞踊にも秀でた方で、あの踊りの所作のように技を繰り出しておられた無傳塾の飯田宏雄はいつも堀川幸道先生の日舞の如く日舞の如くと呪文を唱えながらイメージを膨らませながら稽古をしております。
その技が合氣絞め座取り三人捕りであります。
無傳塾の流儀である「力を出さない力を伝えない何もしない」に結実してきました。
これは形稽古を墨守してきた証しであります。
これからも堀川幸道先生の日舞の如く(所作)の念仏を唱えながら精進していく所存です。
ここ試される大地北海道、札幌から無傳塾の合氣を世界に発信していきます。
終りに無傳塾で大事にしている宮本武蔵の言葉を記して結びとします。
「一歩づつ運ぶなり一歩づつ進むなりそれを30年間続けなさい決して一気にやってはいけない」

稽古三昧

2014年12月吉日
合氣護身術大東流無傳塾
最高師範
塾長     飯田宏雄