≪seminar≫

《Seminar》

Daitoryu Muden Seminar by Hiroo Iida in Portugal.

At Portugal Branch on 1th, 2nd, and 3rd of November in 2019.

https://www.facebook.com/Daito-ryuMudenPortugal

https://www.facebook.com/DaitoryumudenIreland

 

無傳之頭合氣

無傳の合氣は触れたところからどこからでも掛かります。

正面からの撮影:受が投げられたとき頭から手が放れたが、逆スピンが掛かり取に「ふっつき」ます。

横からの撮影:受のわらにもすがる思いがこのようにふっつくのでしょうか。これが無傳の合氣の特性になります。

後技座取両手つかみタスキ掛け合氣前方投げ


投げられた90キロの大男が大きくバウンドして逆スピンが掛かり勢いよく取の膝元にぶつかってくる。

合氣之術だからふっついてくるのです。

合氣が掛かっていない場合は投げ放されていまい「ふっつく」ことはありません。

見えざる力!摩訶不思議!無傳のザ合氣!!

 

第19回大東流無傳塾友好演武大会のご案内

日時:平成31年4月27日(土)13:00~15:00

場所:札幌市西区体育館

 

Seminar Portugal Branch

Daito Ryu Seminar with Hiroo Iida ,Portugal,Early November 2019.

 

 

 

大和田善正 六段

【連絡先】℡:070-4425-0170 メールアドレス:worldmap2000.com@gmail.com

※東京に在住しています。

合氣体になってきたかは、合氣之術(ふっつき之術)ができるかの成否を眼目とする。

羽交締め


投げると取の身体に纏わり付いて極固められている。

「無傳之閉足(むでんのへいそく)」だから・・・。

2019年 謹賀新年 

 

 

 

2019年 元旦

いい氣 いい出会い いい仲間づくり

Good energy  Good enccounters Good relationships

合氣護身術大東流無傳塾

塾長・最高師範 飯田 宏雄

二人捕:諸手掴み同時合氣二人投げ

二人が異なる力で掴まれるので、取はバランスを取るのが至難のわざ。

取は微動だにしないで二人を同時に投げる。

その術とは・・・

「無傳の息(むでんのそく)」と命名した。

 

見えざる力!摩訶不思議!無傳のザ合氣!

2018年4月29日

いい氣 いい出会い いい仲間づくり

Good energy  Good enccounters Good relationships

合氣護身術大東流無傳塾

塾長・最高師範 飯田 宏雄

羽交い締め

後ろからいきなりガーンと勢いよく羽交い締めにあった。
取は身体を後ろに持っていかれ崩れてしまう。
「後の先」でその強い力を削ぎ取って投げた。しかも受は取の身体に纏わり付いて極固められている。
ここに秘密がある。これを無傳の閉足と命名した。
「無傳之閉足(むでんのへいそく)」「無傳之息(むでんのそく)」「無傳之開(むでんのかい)」この三つの技を公開した。
この三つの技を総括したものが「無傳之合氣」と呼んでいる。

見えざる力!摩訶不思議!無傳のザ合氣!


2018年4月
29日
いい氣  いい出会い いい仲間づくり

Good energy.  Good encounters.  Good relationships.

合氣護身術大東流無傳塾
塾長・最高師範 飯田宏雄

 

SEMINAR

 

☆Ireland Branch 8th,9th,10th June 2018

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☆New Jersey Branch 8th,9th September 2018

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☆Japan Honbu Enbu Taikai 27th,October 2018

☆Japan Honbu Open Sminar 28th,October 2018

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大和田善正 六段

合氣体になってきたかは、合氣之術(ふっつき之術)ができるかの成否を眼目とする。

羽交締め


投げると取の身体に纏わり付いて極固められている。

「無傳之閉足(むでんのへいそく)」だから・・・。

傘取

取りが半棒に触れただけで受が横転している。

半棒を傾けたり、捻ってはいない。水平を維持している。

横転した受の顔は合氣が入って悶絶した様子が窺える。

これが合氣の特性である。これを「無傳之開(むでんのかい)」と命名する。

永世名人位堀川幸道師範は番傘を使って技を掛けていた。

飯田は番傘の代わりにこの半棒を使用した。

見えざる力 摩訶不思議! 無傳の合氣!

2018年4月1日

いい氣 いい出会い いい仲間づくり

合氣護身術大東流無傳塾

塾長最高師範   飯田 宏雄

 

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Essay by Minamide

 

Examining myself while undergoing the shugyo of Daito Ryu, I reflect on Kodo Horikawa, shihan and eternal master (eisei meijin) and ask: What is the transmission of the aiki tradition?

 

There are many groups (kaiha) around the world who talk about Aiki. But not many people can demonstrate it. Iida Sensei is one of the few who can. But why is this? And why are there so many who can’t use Aiki? To understand the answer, we need to understand the difference between Muden Juku practice methodology (Ryu gi) and others. This means thinking deeply about Sensei’s words and how his technique and teaching emerged from his background. You must feel, listen and consider all of this. Usually, people only evaluate something according to their own experience and level of knowledge, but in Muden Juku practice, you must always ask: “Why does sensei say that? Why is he teaching in that manner, and how is it different to my understanding?” If I cannot get a clear answer for these questions immediately, I adhere faithfully to sensei’s teaching method and style of practice. I trust this teaching until such a time as that I am able to grasp the teaching with my body and mind.

This is difficult, but it is the only way to understand sensei’s mind, or to grasp his kokoro. And this is the also the quickest way to understand Aiki. Iida sensei’s model was Kodo Horikawa sensei, both in his techniques and his philosophy. Iida Sensei examined himself objectively during harsh training environment at the kodokai (the name of the daito Ryu group established by Horikawa) for a long time. He endured shugyo with modesty and always tried to adhere to the essence of what was Horikawa’s technique and philosophy. Also, he never allowed himself to add his ego to the techniques or tried to invent his own “style” of doing the techniques. This is why, through his extraordinary efforts, Iida Sensei managed to develop a phenomenal level of Aiki that has become his way of life.

 

If Sensei only mimicked Kodo’s techniques, he would not have been able to grasp the essence of Aiki. Iida Sensei is still practicing after over half a century of practice. Iida sensei’s saying about this is one must “win through losing”. This does not mean to give up and accept defeat. Its true meaning is: even if you can’t do it now, believe in yourself, don’t lie to yourself, and trust in the practice method and strive to understand the essence of Aiki. Even if others sneer at your practice or have no idea of what Aiki is, just do the practice (keiko) over and over. This is the secret of the constant development of Sensei’s Aiki.

 

Most people have their own opinions about martial arts (Bujutsu/Budo); that they should look graceful or be practical and dynamic. I have some experience of Budo myself, and I understand that it is easy to make my practice suit the demands of my ego, such as making me strong, to hate losing, also to gain a reputation and be respected by others. This kind of thinking also affects one’s attitude about the future, making one afraid of making a mistake, or making the wrong decision. One’s mind becomes a calculating mind weighing up profit and loss. But nothing is certain, so this also creates feelings such as frustration, confusion and fear. If you are in this mindset, you cannot see the essence of Aiki. This is very important. If you just hanker after Horikawa and Iida Sensei’s techniques, and add your own ego’s understanding to the techniques, you will never understand their kokoro. You would then develop along a completely different line. Following that line, you will never develop Aiki, no matter how hard, or for how long you practice.

 

“The Kokoro and not just the techniques must be transmitted.”

 

Tradition is not embodied in a name, a grade or a certificate. I know many people who thought “I’ve got Aiki”, when they received a grade or a menjo (certificate). They didn’t realise that they had not received the Kokoro. Iida sensei has kept the style (Ryu gi). In this practice you can receive both the techniques and the essence of Kokoro.

 

In order to do this practice, I have prepared myself to fulfil my responsibilities for receiving the transmission in releasing all negative thoughts of the past and all worries about the future. This way, I can live in the ‘now’ and concentrate on the practice of both mind and body that constitute and develop Aiki. I appreciate that I must learn both the spirit and the techniques from the lineage of Horikawa to Iida, and I will keep learning this proudly and modestly.

 

 

Minamide Norihiro.

 

 

大東流を修行して「自分を見つめる」

稽古を通して学んだこと

 

 

私が無傳塾に入塾したのは、2003年。夫の付き添いのため、たまたま稽古を見学したのがきっかけでした。私はその当時、武道に対する憧れや興味もさほどあるわけでは無く、「女の人もたくさんいるのだな」、「子供も大人に混じってたくさん稽古しているんだな」とぼんやり思いながら見ていました。それから2か月間、ずっと稽古の様子を見学していたのですが、なんとなく痛そうなイメージしかなかった“武術”がそうじゃないのかも、という思いに変わり「見ているより一緒にやる方が楽しいですよ」と女性の塾生の方々に誘われて始めました。途中、妊娠、出産、育児と3年間休塾しましたが、3年後に何のブランクもなかったかのように稽古にすんなりと戻れた時はびっくりしました。

私は、何かを新しく始める時にまず3年は続けようという、なんとなく自分に課すルールがあるのですが、無傳塾のお稽古に関しては一度も辞めたいと思ったことがありません。でも

、飯田先生の「通うことが修行」という言葉、この一見簡単で誰にでも出来そうなことが実はとても難しく、いつもこの言葉に背中を押されていたような気がします。もちろん、毎日の生活の中で疲れてる時やさぼりたい時がたまにありますが、そんな時は考えることを中断して(頭をからっぽにして)まず稽古に行く。行って稽古が始まってしまえば、いつのまにか疲れていたことなど忘れて稽古を楽しんでいる自分を発見します。終わった後は、体も軽く気分もすっきりして、来る前より爽快な気持ちになっています。先生がよく「うちのは(無傳塾の稽古は)立禅だよ」とおっしゃいますが、なるほど、正しい姿勢で立ち、自然な呼吸をして、無の状態になるというのはまさに禅の修行のようでもあります。しかし“修行”とは言っても真冬に滝の下で水をかぶりながら禊をするといったような修行ではなく、“瞑想”に近いかもしれません。とても穏やかで、リラックスできるのです。おそらく、人によって疲れやストレスが溜まった時の発散方法がいろいろあると思うのですが、私の場合は、間違いなくこのお稽古に通うことがストレス発散だったのです。

また、年齢、職業問わずいろいろな人に会えるのも稽古の魅力でした。先生のほかにもいろいろな先輩方から懇切丁寧に教わりました。しかし、通い始めてしばらくの間は説明していただいてることがよくわからず、見様見真似でなんとかやっていました。型稽古は、受け(技を受ける人)も取り(技をかける人)も決まった“型”に沿って行うのですが型通りにやることと、技がかかったふりは違うのです。 “合気”の感じ方は人それぞれ違うと言われますが、私は長い間その感覚がよくわからなかったので、たまに合気を感じたふりをしたこともあったのですが、「そんなことはしなくてもいい。わかる時がくるし、人によって感じ方はみんな違う」ということを先輩の方から教えていただき、とても気持ちが軽くなりました。 “感覚”という目に見えないもの、言葉や視覚ではなかなか伝わりにくいこの“感じる”という感覚をどのように養っていくのか、どうすればその感覚が鋭くなっていくのか。「これが、“合気”なのか?」と一瞬分かったような気になっても、次の瞬間やっぱり全然わからなくなり、そんなことを何度も何度も繰り返し、いろいろな人と稽古をして、受けの感じ方を確認して、受けてくれる人の反応を見ながら少しずつ自分の体も変わってきたような気がします。が、長い時間がかかりました。

合気習得の道に近道はないのです。

ただし、無傳塾を立ち上げた飯田先生は、35年かけて幸道先生から学んだ大東流をこの無傳塾では特に“合気”に特化した技法を教え後世に残そうと決めました。昔は柔術、合気柔術を習得したものが何十年もあとになってやっと“合気の技”を習うことが出来た、と聞きました。それに比べれば“近道”かもしれません。

しかし、本物の合気を習得するには、徹底してなぞるいわゆる昔からある「型稽古」を何度も何度も繰り返し行うしかなく、自分の勝手な思い込みやエゴを捨て、先生の言うことを素直に聞き、信じて、真摯に学ぶ。最終的にはこれしかないのではないかと思っています。頭で理解しようとしても、知識は増えるかもしれませんが体現できることとは別なのです。ただこれは、言い換えれば「素直に稽古を続けていけば、誰でも合気を習得できる」ということです。今まで、経験の無かった私にでも、信じて稽古を続けていけば合気の技を習得出来るということなのです。これは、稽古を続けていく上でとても励みになりました。

さらに、稽古を続けてきて学んだこと。それは、人間の体の構造と神秘を昔の人はよく理解していたという驚きです。たとえば、正しい姿勢で立って、力むことを捨てて、しかし体の張りはしっかり保ってということがちゃんと出来たときに技がかかるということ。たとえば、相手を責める時に技によっては体の痛点やツボ、頸動脈を攻めること。これは、体の構造をよく理解していないと出来ません。むやみにやると相手を傷つける恐れがあるからです。そのほか、合気の稽古をして鍛えられるのは、内転筋や腱、靭帯などのジムなどで鍛えることが難しい筋肉や組織であると言われていることなどです。そして、何より稽古とは体を鍛えたり技を習得するだけではなく、集中力や忍耐力、創意工夫だったり、意識の向上だったりという精神(心)と体の鍛錬であるということです。

今後、10年、20年先のことを考え、いまの私に何が出来るのかと思った時に、自分の技術の向上はもちろん、これからは性別、年齢、人種を超えた様々な人に素晴らしい日本の文化「合気」を正しく伝え、後世に残していくこと。これが使命なのではないかと思っています。

自分が学んで実践したことを正しく伝えたい。小学生でも個人のスマートフォンやパソコンを持ち、いろんな情報が瞬時に手に入る世の中。しかし、無傳塾の稽古で身につく合気技は決してインターネットでは得られません。“合気”とは、長い時間をかけて先人たちが身を持って確立した目に見えない力なのです。そして、人から人へ受け継がれていく無形文化財です。

武道の精神「武術は“道”としてあり、人を傷つけるものではなく、己を戒めるもの。」「本当の“強さ”とは相手を倒すことではなく、自分の弱い心に勝つこと」

大東流を修行してこの精神を身をもって理解し、大東流を生涯かけて学んでいくことで人生が豊かになると強く思う今、正しく次の世代にこの無傳塾の技を伝えていきたいと思います。

 

 

                        大東流無傳塾 アイルランド支部

                             バーク 恵

                           2018年3月13日

塾長からのコメント

現在、海外で日出ずる国の武術・大東流合氣柔術(武田惣角翁→堀川幸道翁→無傳塾・飯田宏雄師範へと伝播)は日本の無形文化遺産ともいうべきものを心の糧として夫のオシン・バーグと共に大東流無傳塾の技を伝承・普及・指導しております。誠に感謝に堪えません。

上達の三要素

上達の秘訣とは素直で稽古熱心にして長く続けることです。無傳塾の一番大事にしている楽しい道場の雰囲気づくりなのです。

いい氣 いい出会い いい仲間づくり

合氣護身術大東流無傳塾

塾長最高師範   飯田 宏雄

第18回友好演武大会:2018年10月27日(土)13:00~15:00

オープンセミナー :2018年10月28日(日)

大東流系、合気会系、他各流派、会派の友好団体の方々の演武を予定しています。
また、協賛して参加を希望される団体を随時募集しております。
尚、翌日の10月28日(日)はオープンセミナーで交流しませんか。お気軽にご参加ください。東京オリンピックの2020年に向けて友好の輪を更に大きくして行きたいと思います。
詳しくは、「お問い合わせメールフォーム」または、お電話(TEL & FAX: 011-662-2679 塾長・最高師範 飯田宏雄)でご照会願います。

抱きつき合氣投げ(後技)

腰を使って投げるのが通常なのですが、腰を使ってはいません。

相手が勝手に自ら飛んでいく。取(技を掛けた方)の方も何かした、投げたという感じはしない。

植芝盛平翁もやらせに見えるものが本物だと言われています。

見えざる力 摩訶不思議! 無傳の合氣

2018年2月25日

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合氣護身術大東流無傳塾

塾長 最高師範 飯田 宏雄

SEMINAR

 

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大東流を修行して自分をみつめる 

永世名人位 堀川幸道師範に思いを馳せて

伝承とは?(合気の伝承とは?)

 

 

巷には合気を謳う会派が多数存在するが、本物の合気をその会派において身をもって体現できる人間は極めて少ない。飯田先生はその数少ない一人であるが、なぜそのような差が生じるのか?その理由を知るためには、無傳塾の流儀と他会派の流儀との違いは一体何なのか?飯田先生の思想とは一体何なのか?を理解することがどうしても必要である。

すなわち、飯田先生からの言葉や技がどのような背景をもって今に表現されているのか?そのひとつひとつに耳を傾け、感じ取り、考察していかない限り、本物の合気習得は困難であるということである。

人間は自分の知識・経験の範囲内でしか、物事をとらえることができない。具体的な指導内容は割愛するが、先生からの言葉・指導があれば、自分の拙い考えを引き合いに出さず、先生がなぜそのように言うのか?なぜそのように指導されるのか?自分とは何が異なるのか?を本気で考え、たとえ今その答えが分からないとしてもそれを信じて自分の心と身体が納得し腑に落ちるまで純粋に先生の言うことをなぞり実践し続けることが肝要である。難しいことではあるが、それこそが先生の心を理解するということであり、ひいては合気をつかむための近道となるのである。

飯田先生は、堀川幸道先生を目指し、幸道会の厳しい環境の中で客観的に自分自身を見つめ、堀川先生の技と思想の本質は何たるかを試行錯誤し、ひたすら謙虚に修行を積み重ねてきた。そして自分勝手な解釈をすることなく、堀川先生の「流儀」を自分に落とし込むことを徹底してきた。その飯田先生の非凡な努力の結果が今の先生の合気であり、生き方そのものなのである。もし、飯田先生が堀川先生の流儀を蔑ろにし、技法だけを単に追いかけていれば、決して今のような素晴らしい合気を体現することはできなかったに違いない。飯田先生は堀川幸道先生の素晴らしい合気を求めて、半世紀もの間、努力を積み重ね、更に留まることなく今もなお修行を続けているのである。

飯田先生の「負けるが勝ち」という言葉がある。これは単に努力も何もせず負けてしまうという安易な逃げの姿勢をあらわしているのでは決してない。本当の意味は、「たとえ今の自分にはできなくても、本質ではない様々な感情や誘惑に負けることなく、合気技法の揺るぎない基本と本質を理解するまでは、他人に理解されず馬鹿にされても、それに耐え、忍び、信念をもって努力をひたすら積み重ねる。」という猛烈な覚悟のもとにある言葉なのだ。この思想は合気をつかむための重要なヒントになっており、そして今もなお進化し続ける飯田先生の合気の技法を支える土台のひとつである。

武術である以上、説得力のある結果を今すぐ求めたくなる。外見で明らかに分かる速さ・強さのある技法に目がいってしまう。また、過去の自分の成功体験・失敗体験から、強くなければならない。負けてはならない。認められたい。という気持ちが噴き出してくる。そして未来に対する恐れから、失敗したらどうしよう。認められなかったらどうしよう。いやな思いをしたくない。などの思考が次々と自分の心の中に押し寄せてくる。しかし、これらの自分の中に湧き上がる画餅に帰すものにとらわれてしまえば、すぐに基本・本質とは何かを見失ってしまう。

更に、堀川先生・飯田先生のその心を理解せず、技法ばかりにとらわれ、自分の勝手な解釈が入れば、すぐに本物の合気の道から逸れてしまい、誤った方向に行ってしまう怖さがあるのだ。その誤った方向では、何十年必死に努力を続けても本物の合気を体得することができないという厳しさがあるということである。

伝承とは「その技術とともにその心も引き継がれるもの」であって、看板や段位や免状などでは決してないのである。これは大袈裟な話ではない。自分では合気の技を修行してきたつもりでも、仏作って魂入らずの如く全くの別物になってしまっていることに気付かないのである。

唯一、連綿脈々と続く堀川先生・飯田先生の流儀があるからこそ誇り高き本物の合気技法とその心を学ぶことができるのである。だからこそ、塾生としてこの流儀を真摯にそして注意深く守り続け徹底的に実践し続けていかなければならない責務がある。その責務を全うすることで自分の過去のとらわれや未来への恐れから開放され、ひいては今この瞬間を感じ、この瞬間に集中できる心と体を自然と養い、それが本物の合気技法を形づくっていくものであると確信している。

堀川先生・飯田先生の心と技を学べることに感謝し、誇りをもって、これからもひたすら謙虚に一生かけて学んでいく覚悟である。

 

 

2018年 1月11日

合氣護身術大東流無傳塾

参段 南 出 憲 宏

背負投げ

「人を投げるのなんか羽織を抛(ほう)るようなものだ。」という黒田泰治先生のお言葉です。大東流無傳塾も「力を出さない 力を伝えない 何もしない」という「無傳の合氣」と合致致します。無傳塾ではこの力量感の有無が基準(技の掛かり具合の良否)にして普段の稽古に励んでいます。

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