全日本大学開放推進機構 UEJジャーナルに投稿しました

武道のすすめ

合気護身術大東流無傳塾 最高師範 塾長 飯田宏雄

 

元禄15年(1702年)12月14日、赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入り、見事主君の遺恨を晴らすという日本人なら誰でも御存知の忠臣蔵です。

この一件についての御裁きが当時の為政者である徳川五代将軍綱吉公のもとで行われ、その裁きに大変苦慮され 50 日間をも時間を要しました。

徳川将軍家に対する忠義を考えると赤穂浪士はテロリストに当たるし、今や浅野家では主君に対して忠孝をはたらいたことになります。また。大江戸八百八町に住む民衆から見れば「あっぱれ、胸の支えがストーンと落ちた」という心地すらするのでしょう。この三方を丸く治めるには、と苦慮した将軍綱吉公は、武士の名誉ある本懐を遂げさせるため、四十七士全員に切腹を命じます。

この語りが三百有余年経った今でも語り継がれているのは、実に凄いことなのではないでしょうか。その根っ子にあるものは何であろうか、ではどうしてこの思想が醸成されてきたと考えてみたいと思います。

江戸時代(封建時代)に士農工商という身分制度が確立されました。武士は今でいう為政者です。誇りと名誉を重んじ、忠義忠孝を大事にするのが武士階級です。徳川家は幕藩体制を存続させるために武士の教養として儒学などを学ばせて実践させました。この武士道精神は、江戸時代、明治・大正一昭和初期までの長い間、「主君に忠義、親に忠孝」を叩き込まれた日本人のDNAに染み込まれているのではないでしょうか。新渡戸稲造翁が『武士道』を表したのも、過去から連綿と伝えられてきた日本人の生き方のエッセンスをこの武士道に見ているからだと思います。

ここでもう一つ武道が、日本国を救ったというお話をしたいと思います。日露戦争の終結時のお話です。日露戦争は、我が国が大国露国(帝政ロシア)に勝った戦争です。しかし勝ったといっても、ギリギリのところで辛うじて勝ったに過ぎません。講和に関しては、当時のアメリカ合衆国のセオドア・ルーズベルト大統領が仲介の労をとってくれました。なぜ、ルーズベルト大統領がわざわざ仲介の労をとってくれたのかということです。ルーズベルト大統傾は、柔道を米国に普及しようと渡米していた山下義韶(71歳で他界、十段を追贈)に正式に入門して柔道修行に励んでいたことがありました。この日本武士道の柔道が好きであるということが、積極的な仲介の労をとろうということにつながります。当時、駐米日本公使館付海軍武官として駐在していた竹下勇(後の海軍大将)が「その功績は、金鵄勲章もの」と称賛しているのも、頷けることです。

武道といえば、戦中の暗いイメージばかりで否定的に見られ、未だに光が当たっていないことは至極残念なことです。皮肉なことに、戦後日本の武道を一時禁止したアメリカが、今では武道王国になっています。

戦後70年も経った今、日本は戦時の悪の呪縛から解き放たれてもいいのではないかと思います。もう戦後70年も経っているのです。武道の優れた身体操作性とその精神性に、いま光を当ててほしいものです。

私が修めている武道は、「日出ずる国の武術、大和心の武道」といわれる大東流合気柔術です。大東流合気柔術の歴史は古く、その源は清和天皇に発し、新羅三郎源義光を始祖とし、歴代の源氏武田に代々伝承されていた武道です。江戸時代になって、会津藩の藩祖である保科正之公が殿中における護身武芸として制定し、近習と重臣等の武道として伝授され継承されてきたものです。

1910年大東流合気柔術の中興の祖とされる武田惣角源正義翁が北海道に渡り堀川泰宗と幸道の父子に出会い、彼等にここに留まり教授を懇願された。惣角翁は長年の流浪の旅から草鞋を脱いでここ北海道に北海道永住を決意したのであります。その門弟の中に合気道の開祖といわれる植芝盛平翁がいて、後年東京に出て、そして世界に合気道を伝播流布されたのであります。「試される大地」ここ北海道から武田惣角翁は東京に出向き、日露戦争終結時の日本公使館付武官としてワシントンに駐在していた竹下勇海軍大将、総理大臣の岡田啓介などをも教授しております。

武田惣角翁を三十年余り支えた黒幕といえる永世名人位の堀川幸道翁の門弟である飯田は、何とかこの大東流合気柔術を世に出し、日の目を見たいと念願しているところであります。

1996年アトランタオリンピックの年に飯田がアメリカでの大東流合気柔術のセミナーへ先輩に連れられて行った畤のことです。日本からの留学生でアメリカ人に合気道を習っている方がおられました。彼は日本から離れることによりアイデンティティを惹起させられ、合気道を習うことになったのではないかと思いました。

この大東流合気柔術の合気を使えば、力が要らないから誰でもできる武道です。道場には、年齢フリー、性別フリー、国籍フリー、子供から大人はもとより高齢者までの幅広い年齢層がいますので、文字通り人間道場が形成され、良き人材・仲間づくり場としで最高の”学びの場”となるポテンシャルを有しています。まさしくこの武道は、長寿の時代に適った武道武術です。年配の方々が、生涯現役を貫き通せる道を開いていけます。

世はグローバルになり、国際貢献一国際交流が叫ばれております。トヨタ自動車の創業者である豊田佐吉翁の言葉に「窓を開けよ、外は広い」とあります。これはまさに次世代を担う若者に向けたメッセージではないでしょうか。国際化時代、日本人の誇りと大和心を持ち合わせるためにも、何かひとつ日本の武道を引っ提げて海外に出ていってほしいと思います。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けで”クール・ジャパン”のキャンペーンが盛り上がってきていますが、この機会を捉えて、日本文化のひとつとして「世界に冠たる護身と平和のための武術文化」、これが日本武術の真髄であると手を挙げていきたいと切望しております。

2016年の秋、スポーツ文化ダボス会議を日本で開くよう提案していきたいと下村文部科学大臣が某テレビ番組で言っておられました。日本の元気を取り戻すため、東京だけではなく、全国津々浦々まで地方で継承されている伝統文化に光を当てて、それらに関する様々なイベントを開催し、それを観に世界から大勢の外国人が来日してくれるような方策も期待しております。

本物の合気を目指している無傳塾は「世界でたったひとつの花、小さくてもキラッと光る only one」を志向して今日も明日に向けて稽古に励んでいます。是非、偉大なる無形文化財である大東流合気柔術、大和心の武術を受け継ぎ普及していくために、大学の開放講座でも取り上げて貰いたいと思います。きっとそのエクステンションは繁昌するに違いないと思っています。平成27年元旦記。

 

全日本大学開放推進機構 UEJジャーナル第15号(2015年4月15日発行)