巻物の授与

大和田善正五段は天を貫くように澄みわたった青空の佳き日に2巻目の巻物が授与されました。

大和田善正五段

大和田善正五段

この大東流は東の日の出ずる国の武術で清和天皇に発し新羅三郎源義光を始祖とし代々甲斐武田家に伝わり明治になって中興の祖武田惣角源正義から永世名人位堀川幸道〜井上祐助〜2001年に合氣護身術大東流無傳塾を創立した飯田宏雄、そして門人の大和田義正へと綿綿と受け継がれてきたこの大和心の武術を次は大和田善正が次の代の門人に受け継いで貰いたい。
当日はアメリカからRAY GACITAが大東流無傳塾の合気の技を修行するため来日しており、撮影会を行いました。
ここに居合せた方が巻物授与の立会人となりました。
大和田善正五段へ巻物授与

大和田善正五段へ巻物授与

巻物授与後塾生たちにご披露しました折、巻物を解いた時に「ウァー墨の薫りがする」と感嘆の声がとても印象に残りました。
この巻物は無傳塾の三種の神器のひとつに加え後世に受け継いでほしいと願っております。

感謝(敬称略)
2015年9月21日

合氣護身術大東流無傳塾
塾長
最高師範   飯田宏雄

塾生募集中!

150626無傳塾チラシ-A4

自分の身は自分で守る気概を持て!

護身術の精神
大東流合気柔術の本旨は「斬らない、斬られない。殴らない、殴られない。蹴らない、蹴られない」とされており恩師永世名人位堀川幸道翁の信念であり、人生観でもあった。
ある日、稽古の折、参ったと合図をした者に対し更に追い打ちをかけようとした時、堀川先生は厳しく叱咤その行為を制止されたことがありました。
この護身術というものはすごく厄介なので、相手を傷つけないで反抗心を惹起させないようにして心服させることは至難の業でありまして、技価も高度に保っていなければそれが出来ない訳であります。
昨今はストレス社会、当無傳塾は力が要らないから老若男女誰れでもできる。こどもと大人とが一緒に稽古を楽しんでいます。
それが出来得るのは力でなく術だからです。
誰が強いとか弱わいとかではなく、誰れが上手とか下手とかではなく、ひたすら形の具現化(深堀り)を心掛けて稽古に励んでおります。
力を出さなくてすむからこの技に集中出来るのでストレスが解消され稽古後は肉体的な疲労感がなく壮快感を覚えることが出来ます。
無傳塾ルールのひとつに「和顔に勝る技はなし」とあり
みんなで「明るく楽しく元気よく」でやっております。
武道の経験のない方も、また武道求道の方もどなたでも歓迎致します。

大東流合気柔術中興の祖、武田惣角源正義翁は門人を前に「ほら、簡単だろう、だから見せないのさ」と言った。
ただ真っ直ぐに立つ、正しく座る、それが技
ただ姿勢を正して、ゆったりと息を吸う、息を吐く、それが技

無傳塾 少年の部 吉岡俊亮くんの演武

8才(当時)の男の子、吉岡俊亮くん。友好演武大会において、事前のお手合わせのないぶっつけ本番でやってもらいました。

This shows Shunsuke Yoshioka (8 years old) performing a Daito Ryu technique.
It looks as if he is doing nothing, but this is actually authentic Daito Ryu Aiki in action!
This is owned by
Daito ryu Aikigoshin jutsu Muden juku
Authentic Japanese Bujutsu

一度見学に来てみませんか?

  1. こどもと大人と一緒に稽古する時間帯を設けています。
  2. 普通の武道ではない風景、男性と女性とが一緒に稽古しています。
  3. ご両親とお子さんたちが楽しく和みながら稽古をしています。
  4. 学校では経験することがない小学1年生から70歳未満の縦社会でコミュニケーションがとれます。これがイチバンのメリットです。
  5. 当塾では今までケガは皆無であります。
  6. いよいよ小中学校から武道教育が始まります。本物の武道に触れてみませんか。
  7. 海外に出ると自分が日本人であることを強く意識(アイデンティティの目覚め)します。世界に誇れる大和心の武道を身につけましょう。

兄弟姉妹の方もやっていますヨ

親子でも

子どもといっしょに

夫婦なかよく

親お子さんたちがそしてご夫妻で楽しく和みながら稽古をしています。

むずかしいをカンタンに手ほどきします。

塾生募集!その2
塾生募集リーフレット

塾生募集リーフレット(PDF)

あなたも大男をネジ伏せることができます。
力ではなく術だから!
術とはあらどうしたの!自分は何もしないのに。
これが本物なのです。
Simple is the Best
むずかしいをカンタンに出来ます。
いい気、いい出会い、いい仲間づくり。

 

大東流は今、NHK大河ドラマ「八重の桜」が放映されている舞台である会津藩の御留流(殿中護身術)で、禄高五百石以上の重臣等にだけ伝授したといわれる格式高い秘術です。

大東流合気柔術中興の祖、武田惣角源正義翁の言葉

「ほら、簡単だろう、だから見せないのさ」

当無傳塾はこの秘術を

  1. 見せない→見せます
  2. むずかしいを→カンタンに
  3. できないを→できるようにします

練習風景-1無傳塾の合氣柔術は力が要らないから子供や女性でもできます。
お子様の一人歩きが心配な方、子供が大人を投げるところを実際に見てみませんか?
親子で見学も大歓迎です。

練習風景-2力が要らないから誰にでも出来ます。
軽運動なので健康増進にもなります。
稽古後は爽快感・ストレス解消に最適、親子(ファミリー)で楽しくやってます。
こどもと大人が一緒にやる時間帯(コア)も設けています。
術があるからこどもが大人を投げることができます。

練習風景-3団塊の世代におすすめ。退職後の健康増進、仲間づくりに!
子供から大人まで、女性、男性、外国の方も、どなたでも。

  1. 合気道の源流である大東流合気柔術は、会津藩の秘技で、武田惣角源正義は、その秘術を世に初めて出した人で、彼が指導開始(1898年5月)して、110余年に相成ります。
  2. 試合がない型稽古、力のいらない技なので、生涯体育として有効です。然るに、「生涯現役」が実現できる理由であります。
  3. 老若男女、年齢不問、ノンハンディ(力のある、ない、男女別)、いつからでも始められます。
  4. いきつくところは呼吸力、先ず息を吐く、そして吸うことができる人であれば、習得できます。
  5. 体は心によって動かさられるので、投げようとしたら、体はこわばって投げることができません。
  6. だから、型どおりに動く所作が大切になります。
  7. 技の術理は、人体解剖から出来上がった、とても精緻につくられています。
  8. 合気によって一瞬金縛りにして、相手の力を取り、攻撃できないようにし、技を掛けていくので、赤子の手をひねるが如く力は不要。むしろ邪魔になります。
  9. 受身は、座り技から始めますので、投げられながら習得できます。恐ろしくありません。型稽古なので、怪我はありません。

料金その他詳細は、お電話またはメールフォームでお気軽にお問い合わせください。
お問い合わせ

稽古は「西区体育館」「南区体育館」「中島体育センター」でおこなっています。
詳細はこちらをご覧ください。稽古の見学、体験入学も受け付けております。
道場案内

無傳塾では、出張稽古もいたします!

誰でもできる、やさしく簡単で健康に良い護身術を気心の知れた仲間同士で稽古しませんか?

人数、稽古場所その他ご相談に応じます。まずはお問合せ下さい。

ご提案 講師を派遣いたします。お声掛けを!

  1. 主婦、リタイヤした殿方向けに 健康の維持向上に 午前中
  2. カギ子(こどもたちに)余暇の有効活用に 児童会館向けに
  3. 中学校武道必修化に伴い先生向けにあるいは生徒向けに
  4. 女性の職場向けに護身術を
  5. 企業向け「健康経営」といわれる今、社員の健康向上の一助に
  6. 小・中・高・大学での同好会、部活づくりに

メールフォームをご用意しておりますので、そちらからお問合わせをお願いします。
あるいは、お電話、FAXでも受け付けております。
詳しくは下記のお問合わせページヘ

お問い合わせ

大和田善正

私が稽古させていただいている無傳塾は、飯田宏雄塾長が2001年に開塾されて以来札幌を拠点に大東流の稽古を通して大東流の普及活動に努めております。

私は大東流を始める前、学生の時分に縁があり静岡県で合気会に入門をさせていただき、その技や精神性に強く惹かれて武術に興味を持ちました。その後札幌に戻りご縁があって飯田塾長に大東流を指導いただく機会を得ることができました。

心身を鍛えたいとの思いから武術を稽古し始めて17年たちますが、塾長のご指導方法のおかげで毎回の稽古に新たな発見があり、厳しいながらも楽しく通わせていただいております。集まる塾生の方々も楽しんで稽古をされているので、道場自体が自然と楽しい雰囲気になります。このことが現在まで私が稽古を続けてこられた一番の理由だと思っており、飯田塾長には感謝しております。

我々の稽古している大東流ではその技術体系を柔術や合気柔術や合気之術というように称する事があります。私は、柔術、合気柔術、合気之術のそれぞれが素晴らしいものであり、そのすべてが一つの流派に内包されていることに驚きとともに素晴らしさを感じており、まさに「洗練」という言葉がふさわしい流儀だと思います。しかし、このような技術を習得し流儀を体現できる体に変わるには、大方、10年単位の稽古時間が必要だと感じております。そしてまた私達の稽古は自分だけでは成立しませんので稽古していただく相方が必要です。

私は、この素晴らしい流儀を将来の塾生に継いでいけるような無傳塾であってほしいと願っています。その為に、無傳塾の塾生が永く稽古を続けていける場であるよう塾長のもと塾生達と力を合わせて稽古に励みたいと思います。

無傳塾 大和田善正

近くて遠い国、中国は政治の世界

IMG_2861近くて遠い国、中国は政治の世界
でも民間のレベルではそうではない。
孔子の国、中国から訪問者を受けました。
北京・清華大学の教授で張剣波先生(承諾済)は合気会系の方で日本にて修行された由、合気道の源流である大東流は北海道がルーツであることをご存知で憧れのルーツに来て、とても感激をしておられた。
彼は学者で今流行(はやり)の最先端技術であるエコ技術、また環境にもやさしいリチウムイオン電池及び燃料電池を研究されている方です。
日本と中国の共同で研究開発をしようと二国間の国家プロジェクトを立ち上げようと来日した。それを産学連携でやろうと北海道大学にもお声掛けをしに来札された由
内の技も燃料電池と並ぶ合気之術(座取合氣絞り三人捕)を志向し研鑽開発中であります。
当無傳塾は一期一会の心で以って張先生とご一緒に友好の汗を流しました。
IMG_2771彼のプロジェクトが首尾よく軌道にのれば、来日の機会も出来てまたいつか、ご一緒にいい汗を共に流すことができる日を願っています。

                                                          感謝
2015.8.31  塾長 飯田宏雄

片野美和子

合気は生き方

片野美和子

大学時代アメリカに留学していて、日本人として何一ついわゆる日本の伝統的なものについて知らない自分に愕然とし、それ以来、茶道、華道、書道、武道に興味関心がありました。しかし、20年近くなんの縁もないまま時は過ぎ、6年前、自宅の近くで仕事の終わった夜に合気を習える可能性があると知り、夫と娘と共に見学したところ家族で魅せられ、家族で始めました。力で投げているのではないということに、何とも言えない魅力と不可思議さを感じたのです。


力を使うのではなく、力を抜くことを学びます。力を抜くといっても、腑抜けということではありません。「気」は目に見えないものなので、言葉での説明には限界があります。体得していくものなのでしょう。うまく力が抜けて技が決まると、技をかける時も、かけられて投げられても、何とも言えない心地よさを感じます。

ストレス社会に生きる私たちにとって、何もかも忘れて力を抜くことに熱中するのは、最高のストレス対策です。また、カイロプラクターの私としては、稽古することで腹筋は鍛えられるし、姿勢はよくなり、身体のバランスが取れてくるので、良いエクササイズとも言えます。飯田先生や高段者の方々を目標に励んでいますが、合気を通して、まさに心身ともに健康にバランスのとれた人生にしていきたいと思っています。

片野美和子さんの写真

右が片野美和子さん

稽古は、輪番で型稽古が中心なので、競争ではなく、己の向上を目指します。飯田先生は、「開かれた」合気を目指し、女性や子どもにも積極的に推奨しています。「力」技ではないので、私たち女性にも非常に魅力的です。凛として芯の通った女性武道家になりたいものです。

合気を知れば知るほど、奥が深く、身体の許す限り、合気を追求し、技の向上をめざしていくつもりです。外国にも仲間がいますし、「合気は国境を越え」ます。

合気は身体、精神、心に通じるものがあり、生き方が現れるし、また生き方にも現れると思います。私にとって合気は、自分自身を成長させるための大切なもので、健康がゆるす限り細く長く一生続けていきたいことの一つです。

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150626無傳塾チラシ-A4

片野淳彦

「捨て置け」の術理と紛争解決

片野淳彦

片野淳彦さんの写真

右が片野淳彦さん

無傅塾で合気の稽古をはじめて七年になります。子供の頃から運動が苦手で、運動不足を感じる年齢になってもスポーツには抵抗があり、どうせやるなら武道をと思っていたところ、縁に恵まれて稽古を続けています。おかげさまで体調は良好で、雪道で転ぷのが怖くなくなり、自分の体の変化に小さな感動を覚えながら、毎日を過ごしています。

稽古ではしばしば「捨て置け」と教えられます。手首をつかまれると、どうしてもそれを振りほどこう、つかみ返そう、ひねってやろうと邪(よこしま)な気を起こしがちです。そうすると、つかまれたところから力を伝えてしまい、起こりが生じたり、体が居着いたり、腕の力だけで投げようとしたりして、技が重くなるのです。むしろ、つかまれたところを支点として動かさない、相手に力を伝えない、つかまれたところは「捨て置け」ということを、繰り返し稽古しています。腕力で相手を凌駕するのではないから、腕力の多少に関わらず相手を制することができるわけです。

私は日頃、大学で教員をしながら、紛争解決の研究をしています。家庭や隣近所のいさかいから、学校や職場のトラブル、会社や組織での交渉、通商や領土をめぐる国際紛争まで、種々のもめ事を幅広く扱う研究です。紛争は多岐にわたりますが、人間関係が介在しない紛争はありません。そして興味深いことに、紛争解決においては「捨て置け」の術理に通じる英知が認められるのです。

たとえば「いじめ」について考えてみます。いじめをなくそう、と誰もが言います。すると、なくすべきいじめとは何か、あれこれと定義がなされます。そうして、いじめが疑われる事件に注目する人々の目は、いじめが「あったかどうか」に居着くことになります。これこれの定義に該当しない、だから執拗な嫌がらせはあったが、いじめにはあたらない、などと報じられてしまいます。こうした状況に対して、児童心理司の山脇由貴子さんは「いじめ」という言葉を使わないことを提案しています。いじめのあるなしよりも、子供たちの安全確保に集中することで、結果的にいじめがなくなっていけばいいからです。いじめをなくすには、いじめは「捨て置け」というわけです。

紛争でも合気でも、目に見える対立点は氷山の一角にすぎないということを、「捨て置け」の術理は教えています。かくして、力を伝えず、軸をぶらさず、まっすぐ立つことを稽古するわけですが、真に「捨て置く」ためには、「捨て置こう」とする執着をこそ「捨て置か」なければならないところが、この術理の一番難しいところなのだと思います。

湯浅拓幸

合気技の無名性と型稽古について

大東流 無博塾 三段昇段審査 論文湯浅拓幸

無傳塾に入門以来早くも7年の月日が経とうとしている。本当に月日の経つのは早いものである。その間、700回ほど稽古した。それは常に「型稽古」であった。そして、この頃、無博塾の本領は型稽古にこそあると実感している。

入門当初は塾長が稽古の際に「あれやって」とか「この技を稽古しよう」とか言われるのを聞いて、正直なところ、(いささ)か奇異に感じることがあった。(かつ)て稽古していた少林寺拳法との余りの違いにとまどいを感じることもあった。しかし、今やその思いは稽古を重ねるに従って、当初とは全く別の思いへと変化しつつある。大東流の技は、就中(なかんずく)無傳塾の技はまさしく「あれ」であり「この技」なのである。その技の無名性にこそ大東流の本質を考える鍵が隠されているのではないかと思い始めているのである。

少林寺拳法においては、「技法の体系」として技が「柔法」と「剛法」の二系統に分類され、それが更に幾つかの「拳系」に整然と組織されている。少林寺の拳士は六百数十とも言われるそれらの技を、入門時に全員に配付される「科目表」(と名付けられた冊子)に従って、順次一つ一つ稽古し身につけて行く。勿論全ての技に名前が付けられている。技をイメージさせるかなり具体的な名前である。そして、明瞭に示された基準(稽古回数、経過月数、指定された技の修得)に従って、師匠の推薦により、何人かの審査員の下で実技と論文の昇級・昇段審査を受け、その双方が基準点数を満たした者が合格とされる。実に組織的且つ合理的であると同時に極めて有効な稽古方法であると思う。何よりも、稽古する者にとって「自分の技がどこまで進んでいるのか」が分かり易く、向上意欲を持ちやすいのが特徴である。私は、こうした稽古方法は勿論のこと、その根底に流れる禅思想の面でもその技の面でも少林寺拳法は極めて優れた武道であると今も思っている。

一方(ほとん)ど全ての大東流の技は名前を持たない。名前を持っているにしても抽象的な名前が多い。そして、少林寺拳法ほどの組織的、合理的な稽古方法をも持たない。ひたすら型稽古である。そのためか、自分の技がどこまで進んでいるのか、中々分かりづらい。意欲を持続させることが難しい。それでは型稽古は有効な稽古方法ではないのか。答は否である。それどころか、この型稽古にこそ大東流の本質が潜んでおり、その技の無名性にこそ合気技の神髄が隠されているのではないかと思われるのである。合気を身につける為にこれほど優れた稽古法はないと思われるのである。合気技は畢竟(ひっきょう)合気技でしかない。「合気」を身につけることこそが型稽古の唯一の目的であり、最終の目標なのではなかろうか。

大東流における有名無名のあの技やこの技は、その技を使えること自体が目的なのではない。あの技やこの技が使えるようになることを通して、究極の「合気」を身につけることこそが最終の目標なのである。究極の到達点なのである。そこに到達した時、それぞれの技に名前は要らない。敢えて言えば「合気」という名のただ一つの「技」がそこに存在するだけである。その境地を目指して、我々大東流を稽古する者は日夜型稽古を繰り返し、修行に励むのである。「何もしない」とは、「あの技やこの技をしない」ということなのではなかろうか。「ただ黙って背筋を伸ばし、姿勢を正して真っ直ぐにそこに立つ、座る。」「ただゆったりと静かに息を吐き、吸う。」「全身のカを抜いてただ相手の前に立つ、相手のカを受け容れる。」それは通常の武道の概念からすれば到底「技」とは言えない。しかし、我々無傳塾の目指す技はまさしく「これ」なのであり「あれ」なのであり「あの技」に他ならぬのである。

「合気」とは一体何か。まだ僅か7年しか修行していない私にそれはわからぬ。或いは永久にわからぬかもしれぬ。しかし、それは感じることができる。人聞の体と心との玄妙不可思議な働きとしか言うことのできぬものとして確かにある。自分が手を開く時、相手が崩れて行く。少なくともその時に「合気」はその姿を垣間見せる。この「手を開く」ことこそが型稽古の出発点であり、到達点である。或いは、その全てであると言っても過言ではあるまい。
この「技」への道のりは余りに遠く、余りに長い。しかし、到達点は恐らくある。見えている。そして、型稽古のみがこの「技」に、「合気」という名の「唯一の技」に到達するただ一つの道なのではなかろうか。型稽古とは、謂わぱ、「一つ一つの技」という「個物」を通して「合気」という「普遍」に至り着く為の唯一最高の道なのではなかろうか。我々は、それを信じて、一歩一歩修行して行くしかない。私は、嘗て明暗尺八と少林寺拳法の修行を通して、「量が質に転換する」ということを学んだ。「千回の稽古」ということの意味を教えられた。先ずは「千回の稽古」を目指して、地道に気長に(ゆる)むことなく稽古を続けたいと思う。「朝鍛タ錬」と古人は言った。この言葉は重い。

修行

(平成27年5月23日)

朋あり遠方より来る、亦た楽しからずや

3年振りアイルランドからOisin & Megumi Bourkeご夫妻が帰札した。
5月2日(土)から6日(水)まで5日間 特別稽古会を開催した。
連休と重なり塾生たちが参加してくれて盛会にして充実した稽古が出来た。
お互い、技を改めて再確認ができたことはとても有意義なことであった。
Oisinご夫妻は帰国して今夏にアイルランド於セミナーを開く予定とか、アメリカからも来てくれる方がいる由、心強いメッセージを残して帰国した。

感謝 飯田

恵バーク

恵バーク

オシン・バーク

オシン・バーク

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全日本大学開放推進機構 UEJジャーナルに投稿しました

武道のすすめ

合気護身術大東流無傳塾 最高師範 塾長 飯田宏雄

 

元禄15年(1702年)12月14日、赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入り、見事主君の遺恨を晴らすという日本人なら誰でも御存知の忠臣蔵です。

この一件についての御裁きが当時の為政者である徳川五代将軍綱吉公のもとで行われ、その裁きに大変苦慮され 50 日間をも時間を要しました。

徳川将軍家に対する忠義を考えると赤穂浪士はテロリストに当たるし、今や浅野家では主君に対して忠孝をはたらいたことになります。また。大江戸八百八町に住む民衆から見れば「あっぱれ、胸の支えがストーンと落ちた」という心地すらするのでしょう。この三方を丸く治めるには、と苦慮した将軍綱吉公は、武士の名誉ある本懐を遂げさせるため、四十七士全員に切腹を命じます。

この語りが三百有余年経った今でも語り継がれているのは、実に凄いことなのではないでしょうか。その根っ子にあるものは何であろうか、ではどうしてこの思想が醸成されてきたと考えてみたいと思います。

江戸時代(封建時代)に士農工商という身分制度が確立されました。武士は今でいう為政者です。誇りと名誉を重んじ、忠義忠孝を大事にするのが武士階級です。徳川家は幕藩体制を存続させるために武士の教養として儒学などを学ばせて実践させました。この武士道精神は、江戸時代、明治・大正一昭和初期までの長い間、「主君に忠義、親に忠孝」を叩き込まれた日本人のDNAに染み込まれているのではないでしょうか。新渡戸稲造翁が『武士道』を表したのも、過去から連綿と伝えられてきた日本人の生き方のエッセンスをこの武士道に見ているからだと思います。

ここでもう一つ武道が、日本国を救ったというお話をしたいと思います。日露戦争の終結時のお話です。日露戦争は、我が国が大国露国(帝政ロシア)に勝った戦争です。しかし勝ったといっても、ギリギリのところで辛うじて勝ったに過ぎません。講和に関しては、当時のアメリカ合衆国のセオドア・ルーズベルト大統領が仲介の労をとってくれました。なぜ、ルーズベルト大統領がわざわざ仲介の労をとってくれたのかということです。ルーズベルト大統傾は、柔道を米国に普及しようと渡米していた山下義韶(71歳で他界、十段を追贈)に正式に入門して柔道修行に励んでいたことがありました。この日本武士道の柔道が好きであるということが、積極的な仲介の労をとろうということにつながります。当時、駐米日本公使館付海軍武官として駐在していた竹下勇(後の海軍大将)が「その功績は、金鵄勲章もの」と称賛しているのも、頷けることです。

武道といえば、戦中の暗いイメージばかりで否定的に見られ、未だに光が当たっていないことは至極残念なことです。皮肉なことに、戦後日本の武道を一時禁止したアメリカが、今では武道王国になっています。

戦後70年も経った今、日本は戦時の悪の呪縛から解き放たれてもいいのではないかと思います。もう戦後70年も経っているのです。武道の優れた身体操作性とその精神性に、いま光を当ててほしいものです。

私が修めている武道は、「日出ずる国の武術、大和心の武道」といわれる大東流合気柔術です。大東流合気柔術の歴史は古く、その源は清和天皇に発し、新羅三郎源義光を始祖とし、歴代の源氏武田に代々伝承されていた武道です。江戸時代になって、会津藩の藩祖である保科正之公が殿中における護身武芸として制定し、近習と重臣等の武道として伝授され継承されてきたものです。

1910年大東流合気柔術の中興の祖とされる武田惣角源正義翁が北海道に渡り堀川泰宗と幸道の父子に出会い、彼等にここに留まり教授を懇願された。惣角翁は長年の流浪の旅から草鞋を脱いでここ北海道に北海道永住を決意したのであります。その門弟の中に合気道の開祖といわれる植芝盛平翁がいて、後年東京に出て、そして世界に合気道を伝播流布されたのであります。「試される大地」ここ北海道から武田惣角翁は東京に出向き、日露戦争終結時の日本公使館付武官としてワシントンに駐在していた竹下勇海軍大将、総理大臣の岡田啓介などをも教授しております。

武田惣角翁を三十年余り支えた黒幕といえる永世名人位の堀川幸道翁の門弟である飯田は、何とかこの大東流合気柔術を世に出し、日の目を見たいと念願しているところであります。

1996年アトランタオリンピックの年に飯田がアメリカでの大東流合気柔術のセミナーへ先輩に連れられて行った畤のことです。日本からの留学生でアメリカ人に合気道を習っている方がおられました。彼は日本から離れることによりアイデンティティを惹起させられ、合気道を習うことになったのではないかと思いました。

この大東流合気柔術の合気を使えば、力が要らないから誰でもできる武道です。道場には、年齢フリー、性別フリー、国籍フリー、子供から大人はもとより高齢者までの幅広い年齢層がいますので、文字通り人間道場が形成され、良き人材・仲間づくり場としで最高の”学びの場”となるポテンシャルを有しています。まさしくこの武道は、長寿の時代に適った武道武術です。年配の方々が、生涯現役を貫き通せる道を開いていけます。

世はグローバルになり、国際貢献一国際交流が叫ばれております。トヨタ自動車の創業者である豊田佐吉翁の言葉に「窓を開けよ、外は広い」とあります。これはまさに次世代を担う若者に向けたメッセージではないでしょうか。国際化時代、日本人の誇りと大和心を持ち合わせるためにも、何かひとつ日本の武道を引っ提げて海外に出ていってほしいと思います。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けで”クール・ジャパン”のキャンペーンが盛り上がってきていますが、この機会を捉えて、日本文化のひとつとして「世界に冠たる護身と平和のための武術文化」、これが日本武術の真髄であると手を挙げていきたいと切望しております。

2016年の秋、スポーツ文化ダボス会議を日本で開くよう提案していきたいと下村文部科学大臣が某テレビ番組で言っておられました。日本の元気を取り戻すため、東京だけではなく、全国津々浦々まで地方で継承されている伝統文化に光を当てて、それらに関する様々なイベントを開催し、それを観に世界から大勢の外国人が来日してくれるような方策も期待しております。

本物の合気を目指している無傳塾は「世界でたったひとつの花、小さくてもキラッと光る only one」を志向して今日も明日に向けて稽古に励んでいます。是非、偉大なる無形文化財である大東流合気柔術、大和心の武術を受け継ぎ普及していくために、大学の開放講座でも取り上げて貰いたいと思います。きっとそのエクステンションは繁昌するに違いないと思っています。平成27年元旦記。

 

全日本大学開放推進機構 UEJジャーナル第15号(2015年4月15日発行)